僕は『月刊ブラシ』というミニコミを編集している。

インタビュー中心の雑誌で、二二の時に創刊して、もう二年が過ぎた。今までにインタビューしたのは、爆弾製造青年、五年間顔を合わせたことのない隣人、日本語学校の生徒、駆け出しの探偵、等々。特に決まったジャンルとかは無いので、今は閃いたことを全部やるようにしている。

インタビューをしてると、相手が「マンガみたいな現実」を語ってくれる時がある。例えば、爆弾製造青年が高校の時に友達から「不良にからまれるから爆弾作ってくれ」って言われたとか、「探偵が学校に潜入する時は用務員のフリをする」とか、そんな話にはメチャクチャシビレる。
関係ないけど「スティービー・ワンダーは必ず綺麗な女を選ぶ」とか「ビーチ・ボーイズはメンバー全員カナヅチだ」とか、「火葬場はやはり火事がおこりやすく、職員が焼け死ぬことがよくある」とか、そんなエピソードも大好きだ。そんな僕にとって、"いじめ"って、昔から凄く気になる世界だった。

例えば
*ある学級では"いじめる会"なるものが発足していた。この会は新聞を発行していた。あいつ(クラス一いじめられている男の子)とあいつ(クラス一いじめられている女の子)はデキている、といった記事を教室中に配布していた。とか、
*髪を洗わなくていじめられていた少年がいた。確かに彼の髪は油っぽかった。誰かが彼の髪にライターで点火した。一瞬だが鮮やかに燃えた。
といった話を聞くと、"いじめってエンターテイメント!?"とか思ってドキドキする。だって細部までアイデア豊富で、何だかスプラッター映画みたいだ。
(あの『葬式ごっこ』もその一例だ)

 僕自身は学生時代は傍観者で、人がいじめられるのを笑って見ていた。短期間だがいじめられたことはあるから、いじめられっ子に感情移入する事は出来る。でも、いじめスプラッターには、イージーなヒューマニズムをぶっ飛ばすポジティヴさを感じる。小学校の時にコンパスの尖った方で背中を刺されたのも、今となってはいいエンターテイメントだ。「ディティール賞」って感じだ。どうせいじめはなくならないんだし。

 去年の一二月頃、新聞やテレビでは、いじめ連鎖自殺が何度も報道されていた。「コメンテーター」とか「キャスター」とか呼ばれる人達が「頑張って下さい」とか「死ぬのだけはやめろ」とか、無責任な言葉を垂れ流していた。嘘臭くて吐き気がした。

 それに、いじめた側の人がその後どんな大人になったか、いじめられた側の人がその後どうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか、これもほとんど報道されていない。

 誰かこの観点でいじめを取り上げないかな、と思っていたら、昔読んだ『ロッキング・オン・ジャパン』の小山田圭吾インタビューを思い出した。

【小山田圭吾=いじめっ子?】
小山田圭吾といえば、数年前にアニエスb.を着て日本一裕福そうなポップスを演っていた、あのグループの一員だ。ソロになった今でも彼の音楽は裕福そうだが、そんな彼は私立小・中学時代いじめる側だったらしい。ヤバい目つきの人だなあとは思っていたが。「全裸にしてグルグル巻きにしてオナニーさせて、バックドロップしたり」とか発言してる。それも結構笑いながら。

僕も私立中学・高校とエスカレーターで通っていたので、他人事とは思えなかった。僕の当時の友人にはやはりいじめ加害者や傍観者が多いが、盆や正月に会うと、いじめ談義は格好の酒の肴だ。盛り上がる。私立って、独特の歪み方をする。

小山田さんは、「今考えるとほんとヒドかった。この場を借りて謝ります(笑)」とも言っている。

だったら、ホントに再会したらどうなるだろう。いじめっ子は本当に謝るのか?いじめられっ子はやっぱり呪いの言葉を投げつけるのか?ドキドキしてきた。

対談してもらおう!

最終的にはいじめられてた人の家の中まで入った。しかし結局この対談は実現せず、小山田さんへの個人インタビューとなった。

以下、この対談の準備から失敗までを報告する。

●2月22日
*14時、太田出版で『QJ』赤田・北尾両氏と会う。いじめ対談のことを話す。
「面白いね、やってよ。和光中学の名簿探してみるから」
――まず、いじめられっ子を探すことにする。
*20時、ボアダムズのライヴを観に新宿リキッドルームへ。
終演後、何と観客の中に小山田圭吾氏発見!運命的なものを感じる。何か挨拶しとかなきゃ。しかし、カヒミ・カリィと一緒の小山田さんにいきなり「昔、いじめっ子だったんですよね」という訳にもいくまい。とりあえず『月刊ブラシ』を手渡す。「ミニコミ作ってるんで読んでください」「あ、ありがとう」この間、約二秒。ちなみに僕は普段いつも自分のミニコミを持ち歩いている訳ではなく、この日持ってたのは本当に偶然だった。ますます運命的なものを感じる。

●2月25日
当時の和光中学の名簿を思いっきり入手。太田出版のバイトにたまたま和光出身の人が入ったらしく、そのルートから。運命的なものを感じる。いじめられてた人の名前まで判明した。西河原法夫さん(仮名)といい、「学年を超えて有名」だったとか。対談依頼の手紙を書く。

●3月15日
原宿の西河原さんの自宅へ交渉に。住所を頼りに昔いじめられてた人の家に行く、しかも自分は全然初対面。この時の気分はうまく説明できない。現実を舞台にファミコンやってるような気になってくる。よくよく西河原さんと話してみると、「自分は消しゴムを隠される程度のいじめしか受けていない。(前出のように)ハードにいじめられてたのは別の人ではないか」とのこと。じゃあ、本当にいじめられてたのは誰なんだ?

●3月23日
太田出版ルートでは、「もはや誰が小山田さんにいじめられていたのかは判らない」とのこと。間抜けな話だが、小山田さん本人に聞くしかなくなった。所属事務所「3-D」に電話。事前に手紙は送っているが、反応はよくない。当たり前か。

●4月2日
とにかく事務所に乗り込む。『QJ』赤田氏と僕とで、まずマネージャー岡氏を説得しなければならない。と思っていたら、「本人来ますよ」20分後、『夕刊フジ』の地下鉄サリン事件増刊号を小脇にかかえながら、コーネリアスはいきなり目の前に現れた。

「この対談、読み物としては絶対面白い物になるだろうし、僕も読むけど、自分がやるとなると……(苦笑)」

『月刊ブラシ』のことは覚えていてくれたものの、やはり引き気味のコーネリアス。しかし話をしていくうち、お互いいじめ談義で盛り上がってしまう。小山田さんは、いじめグループの中でも"アイデア担当"だったらしい。僕の確信は間違ってなかった。小山田さんもこういうのが好きなのだ。大体、昔テレビの「私のお気に入り紹介」みたいなやつで、他の人は好きなパンとか好きな文房具とかを紹介してるのに、一人だけアメリカ凶悪殺人犯のトレーディング・カードを紹介していたぞ。小山田さんとのいじめ談義は、同じ学校の奴とバカ話しているようで、凄く楽しい時間だった。独り占めするのはもったいないので、僕がシビレた話を掲載しよう。

【"いじめられっ子"は二人いた】
小山田さんによれば、当時いじめられてた人は二人いた。最初に登場するのが沢田君(仮名)だ。

「沢田って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転校してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)。だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)『サワダです』とか言ってさ、『うわ、すごい!』ってなるじゃないですか。で、転校してきた初日に、ウンコしたんだ。なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか?で、いきなり初日にウンコするんだけどさ、便所に行く途中にズボンが落ちてるんですよ、何か一個(笑)。そんでそれを辿って行くと、その先にパンツが落ちてるんですよ。で、最終的に辿って行くと、トイレのドアが開けっ放しで、下半身素っ裸の沢田がウンコしてたんだ(笑)」

「だから、何かほら、『ロボコン』でいう『ロボパー』が転校してきたようなもんですよ。(笑)。で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。別に最初はいじめじゃないんだけども、とりあえず興味あるから、まあ色々トライして、話してみたりするんだけども、やっぱ会話とか通じなかったりとかするんですよ。おまけにこいつは、体がでかいんですよ。それで癇癪持ちっていうか、凶暴性があって……牛乳瓶とか持ち出してさ、追っかけてきたりとかするんですよ。で、みんな『怖いな』って。ノロいから逃げるのは楽勝なんだけど、怒らせるとかなりのパワーを持ってるし、しかもほら、ちょっとおかしいから容赦ないから、牛乳瓶とかで殴られたりとかめちゃめちゃ痛いじゃないですか、で、普通の奴とか牛乳瓶でまさか殴れないけど、こいつとか平気でやるのね。それでまた、それやられると、みんなボコボコにやられるんだけど」

「僕とこいつはクラスは違ったんですけど、小学校五年ぐらいの時に、クラブが一緒になったんですよ。土曜日に二時間ぐらい。選択でいろんなクラブ選べるとかいうので、僕、"太鼓クラブ"とかに入って(笑)、かなり人気のないクラブだったんですよ。ウチの学校って、音楽の時間に民族舞踊みたいなやつとか、『サンサ踊り』とか、何かそういう凄い難しい踊りを取り入れてて。僕、踊り踊るのヤだったの、すごく。それで踊らなくていいようにするには、太鼓叩くしかなかったの。クラスで三人とか四人ぐらいしか太鼓叩く奴はいなくて、後は全員、踊らなきゃいけないってやつで。僕は『踊るのはキツイなー』って思って、『じゃ、太鼓の方がいいや』って。結構、太鼓が好きだったんですよ、僕。それで太鼓クラブに入ったんですけど、するとなぜか沢田が太鼓クラブにいたんですよ(笑)。本格的な付き合いはそれからなんですけど、太鼓クラブって、もう人数が五人ぐらいしかいないんですよ、学年で。野球部とかサッカー部とかがやっぱ人気で、そういうのは先生がついて指導とかするんだけど、太鼓クラブって五人しかいないから、先生とか手が回らないからさ、『五人で勝手にやってくれ』っていう感じになっちゃって。それで音楽室の横にある狭い教室に追いやられて、そこで二時間、五人で過ごさなきゃならなかった。五人でいても、太鼓なんか叩きゃしなくって、ただずっと遊んでるだけなんだけど。そういう時に五人の中に一人沢田っていうのがいると、やっぱりかなり実験の対象になっちゃうんですよね」

「段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、『おい、沢田、大丈夫か?』とか言うと、『ダイジョブ…』とか言ってんの(笑)。そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、『ヤバいね』『どうしようか』とか言って、『じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう』って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな……?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、『おかあさ〜ん』とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして」

「本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。ゴロゴロ転がしたりしたら、『ヤメロヨー』とか言ったけど」

【沢田からの年賀状】
「肉体的にいじめてたっていうのは、小学生ぐらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど……どっちかって言うと仲良かったっていう感じで、いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから。でも、だからもう、とにかく凄いんです、こいつのやることは。すっごい、バカなんだけど……勉強とかやっぱ全然できないんです、数学とかは。でも国語のテストとかになると、漢字だけはめちゃくちゃ知ってて、スッゲェ難しい字とかを、絶対読めないような漢字とか使って文章とか書くのね(笑)。文章とか、もう支離滅裂なんだけど、漢字だけは、もう難しい漢字で、しかも字が、原稿用紙に四マスに一文字の大きさで書いたかと思うと、次に、一マスに半分ぐらいの字で書いてたりとかして、もうグッチャグチャなの。それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ、人に年賀状とか出さないんだけど、僕の所には何か出すんですよ(笑)。で、僕は出してなかったんだけど、でも来ると、ハガキに何かお母さんが、こう、線を定規で引いて、そこに『明けましておめでとう』とか『今年もよろしく』とか鉛筆で書いてあって、スゲェ汚い字で(笑)」

「あと、こいつの凄いのは、学校の名簿を休み時間の間とか、ずーっと見とくのね。それで全部覚えてるのね、名前とクラスと、お父さんお母さんの名前とかも、住所と電話番号と、他のクラスに兄弟がいるかとか、そういうのも全部知ってて、学校に行く途中とかに、沢田に会うと、全然知らない下級生について『沢田ぁ、あいつの名前何て言うの?』って聞いたら、『なんとかかんとか』って言って、『住所は?』って聞くと、『なんとかかんとか』って言って、全部知ってんですよ(笑)」

「で、朝、こいつすっごい早く学校来るのね、誰もいない時間とかに。遅刻とか絶対しなくって。たまに僕、朝早く電車に乗ると、こいつもう、電車の中で超有名人で、他の学校とかにも。朝、いつも小田急線の中で、『コケコッコー』とか言う声が聞こえるんですよ。そうすると『あ、沢田がいる』(笑)ってみんな分かって。朝、絶対、小田急線の中でニワトリの鳴き声がすると、『あ、沢田が電車に乗ってるなぁ』という」「中学時代はねぇ、僕、ちょっとクラス離れちゃってて、あんまり……高校でまた、一緒になっちゃって、高校は、出席番号が隣だったから、ずっと席が隣だったのね、それでまたクラスに僕、全然友達いなくてさ(笑)」

―――お互いアウトサイダーなんだ(笑)。

「そう、あらゆる意味で(笑)。二、三人ぐらいしか仲いい奴とかいなくて、席隣りだからさ、結構また、仲良くなっちゃって……仲良くって言ったらアレなんだけど(笑)、俺、ファンだからさ、色々聞いたりするようになったんだけど。でも、高校になったらねぇ、暴れ出すとか、そういう回数は減ったんだけど。ま、相変わらず、ウンコ漏らしたりするのは週一ぐらいでやってて、とにかく最初の頃は、デビュー当時っていうか(笑)、ウンコ漏らすって言ったら、それはもう学校中のイベントになっちゃって、たいがい、ウンコ漏らしたトイレに行ってさ、先生が全部、パンツとズボンを脱がして、ホースで水かけてさ、ジャーッとかやってるんですよ(笑)。それで午後はジャージになってて」

「ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。だけどこいつチンポがデッカくてさ、小学校のときからそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増しててさ(笑)。女の子とか反応するじゃないですか。だからみんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。でも、もう僕、個人的には沢田のファンだから、『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。……って言うか、笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったって言うか、そういうのやるのは、たいがい珍しい奴って言うか、外から来た奴とかだから」

【石川さゆり VS ジザメリ】
「学校で透明な下敷きに好きなの入れるのって流行るじゃないですか。僕とかも入れてたんだけど、それ見て真似したのか何なのか、ある日透明な下敷きを沢田が買ってきたんですよ。それで、『あの下敷きに何が入るのか?』って僕はかなり注目してたの。で、シャレでも何でもなくて、ホントに石川さゆりの写真が入ってたんですよ。それで『何、お前、石川さゆり好きなの?』って聞いたら『ウン』って言ってるの。ちょっとお母さんの『週刊女性』とかそういうのから切り取ったような。石川さゆりが出てる本なんて持ってないよね、高校生で(笑)。かなりタイプだったみたいで」

―――ちなみに、同時期に小山田さんは下敷きに何を入れてたんですか?

「何だ……ジーザス&メリーチェーンとか」

―――(笑)。

「こいつ、高校ぐらいになると、ちょっと性に目覚めちゃうんですよ、それがまた凄くてね、朝の電車とかで、他の学校の女子高生とかと一緒になったりするじゃん、そうすると、もう反応が直だからさ、いきなり足に抱きついちゃったりとかさ。あと、沢田じゃないんだけど、一個上の先輩で……そいつはもう超狂ってた奴だったんだけど……長谷川君(仮名)という人がいて、そいつとかもう、電車の中でオナニーとか平気でするのね、ズボンとか脱いで、もうビンビンに立ってて(笑)。いつも指を三本くわえてて、目がここ(右の黒目)とここ(左の黒目)が凄く離れてて、かなりキてる人で、中学だけで高校は行けなかったんだけど。沢田は、そこまではいかなかったけど、反応は直だから」

「沢田はね、あと、何だろう……"沢田、ちょっといい話"は結構あるんですけど……超鼻詰まってんですよ。小学校の時は垂れ放題で、中学の時も垂れ放題で、高校の時からポケットティッシュを持ち歩くようになって。進化して、鼻ふいたりするようになって(笑)、『おっ、こいつ、何かちょっとエチケットも気にし出したな』って僕はちょっと喜んでたんだけど、ポケットティッシュってすぐなくなっちゃうから、五・六時間目とかになると垂れ放題だけどね。で、それを何か僕は、隣の席でいつも気になってて。で、購買部で箱のティッシュが売っていて、僕は箱のティッシュを沢田にプレゼントしたという(笑)。ちょっといい話でしょ?しかも、ちゃんとビニールひもを箱に付けて、首に掛けられるようにして、『首に掛けとけ』って言って、箱に沢田って書いておきましたよ(笑)。それ以来沢田はティッシュを首に掛けて、いつも鼻かむようになったという。それで五・六時間目まで持つようになった。かなり強力になったんだけど、そしたら沢田、僕がプレゼントした後、自分で箱のティッシュを買うようになって」

「でも別に、仲いいって言ってもさ、休みの日とか一緒に遊んだりとか、そういうことは絶対なかったし、休み時間とかも、一緒に遊んだりっていうのは、絶対なかったんだけど」

【沢田の"プライマル・スクリーム"】
―――休み時間は、どこに?

「僕は、休み時間は、他のクラスの奴とか仲いい奴いたから、何かどっか外行ったり、そういう感じだったけど。沢田は、……っていうか、こういう障害がある人とかって言うのは、なぜか図書室にたまるんですよ。図書室っていうのが、もう一大テーマパークって感じで(笑)。しかもウチの学年だけじゃなくて、全学年のそういう奴のなぜか、拠り所になってて、きっと逃げ場所なんだけど、そん中での社会っていうのがまたあって。さっき言った長谷川君っていう、超ハードコアなおかしい人が、一コ上で一番凄いから、イニシアチブを取ってね、みんなそいつのことをちょっと恐れてる。そいつには相棒がいて。耳が聞こえないやつで、すっごい背がちっちゃいのね。何か南米人とハーフみたいな顔をしてて、色が真っ黒で、そいつら二人でコンビなのね。で、そいつら先輩だから、ウチの学年のそういう奴にも威張ってたりとかするの。何かたまに、そういうのを『みんなで見に行こう』『休み時間は何やってるのか?』とか言ってさ。そういうのを好きなのは、僕とか含めて三、四人ぐらいだったけど、見に行ったりすると、そいつらの間で相撲が流行っててさ(笑)。図書館の前に、土俵みたいなのがあって、相撲してるのね。その長谷川君っていうのが、相撲が上手いんですよ。凄い、足掛けてバーンとか投げる技をやったりとかすんの。素人じゃないの。小人プロレスなんて比じゃない! って感じなんですよ、もう(笑)。で、やっぱりああいう人たちって……ああいう人たちっていう言い方もあんまりだけど……何が一番凄いかって、スクリーミングするんですよ。叫び声がすごくナチュラルに出てくる。『ギャーッ』とか『ワーッ』とかいう声って、普通の人ってあんまり出さないじゃないですか、それが、もう本当に奇声なんか出てきて、すごいんです」

「その中で沢田って、その人たちからしてみれば、後輩なんだけど、体とかデカい、でも、おとなしいタイプなのね。フランケン・タイプっていうか。だけど怒らすと怖いって感じで。で、その軍団でたまに食堂で食うんですよ。リーダーの長谷川君がラーメンとか頼むと、箸ちゃんと持てないから、半分は口に入るんだけど、半分はお盆に落ちるのね。そうすると、また、こうやって(お盆に口をつける)食ったりしてるの。その中で一回、ケンカになっちゃったの、食堂で。沢田に対して長谷川が何かをやったかなんかで、沢田があんまり切れないんだけど、久々に切れて、お茶があるじゃない、それをかけちゃったんですよ」

―――学校って図書室とか用務員室とか、もの凄いはっきりとした"場所"がありますよね。理科室とか、体育倉庫とか。何かが起こりやすい。

「太鼓クラブとかは、もうそうだったのね。体育倉庫みたいなところでやってたの、クラブ自体が。だから、いろんなものが置いてあるんですよ、使えるものが。だから、マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーバットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)」

いじめ談義は、どんな青春映画よりも僕にとってリアルだった。恋愛とクラブ活動だけが学校じゃない。僕の学校でも危うく死を免れている奴は結構いたはずだし、今でも全国にいるだろう。小山田さんには、いじめられっ子の二人目、村田さん(仮名)の話もしてもらった。

【毒ガス攻撃】
「村田は、小学生の頃からいたんですよ。こいつはちょっとおかしいってのも分かってたし。だけど違うクラスだったから接触する機会がなかったんだけど、中学に入ると、同じクラスになったから。で、様々なな奇行をするわけですよ。村田っていうのは、わりと境界線上にいる男で、やっぱ頭が病気でおかしいんだか、ただバカなんだか、というのが凄い分りにくい奴で、体なんかもちっちゃくて、それでこいつは沢田とは逆に癇癪が内に向かうタイプで。いじめられたりすると、立ち向かってくるんじゃなくて、自分で頭とかを壁とかにガンガンぶつけて、『畜生、畜生!』とか言って(笑)、ホントにマンガみたいなの。それやられるとみんなビビッて、引いちゃうの。『あの人、やばいよ』って。」

「お風呂に入らないんですよ、こいつは(笑)。まず、臭いし、髪の毛がかゆいみたいで、コリコリコリコリ頭掻いてるんですよ。何か髪の毛を一本一本抜いていくの。それで、10円ハゲみたくなっちゃって、そこだけポコっとハゲててルックス的に凄くて。勉強とか全然できないし、運動とかもやっぱ、全然できないし」

「段ボールの中に閉じ込めることの進化形で、掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。そいつなんかはすぐ泣くからさ、『アア~!』とか言ってガンガンガンガンとかいってやるの(笑)。そうするとうるさいからさ、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばすんですよ。それはでも、小学校の時の実験精神が生かされてて。密室ものとして。あと黒板消しはやっぱ必需品として。"毒ガスもの"として(笑)」

「村田は、別に誰にも相手にされてなかったんだけど、いきなりガムをたくさん持ってきて、何かみんなに配りだして。『何で、あいつ、あんなにガム持ってるんだ? 調べよう』ってことになって、呼び出してさ、『お前、何でそんなにガム持ってるの?』って聞いたら、『買ったんだ』とか言っててさ。三日間ぐらい、そういう凄い羽振りのいい時期があって。そんで付いて行って、いろんなもん買わせたりして。そんで、三日間くらいしたら、ここに青タン作って学校に来て。『おまえ、どうしたの?』とかきいたら、『親にブン殴られた』とか言ってて(笑)。親の財布から一五万円盗んだんだって。でも何に使っていいか分かんないから、ガム買ったりとかそういうことやって(笑)。だから、そいつにしてみればその三日間っていうのはね、人気があった時代なんですよ。一五万円で人が集まって来て。かなりバカにされて、『買えよ』って言われてるだけなのに。全然、沢田なんかよりも普通に話せるしね。普通に話とかも全然できるしね。体がおかしいとか、障害があるような、そういうタイプでもないっぽいんですよ」

しかしどんなタイプの奴でも行かなきゃいけないのが修学旅行だ。この学校行事最大のイベントで、何も起こらない訳がない。

【奇妙な立場】
「中三の時、一コ上の先輩でダブっちゃった人が下りてきたんですよ、ウチのクラスに。で、その人が渋カジの元祖みたいな人で。バカな先輩なんだけど。でも僕はわりと仲が良かったのね。で、同じ班になっちゃって、そのまま修学旅行に行くことになっちゃったんですよ。そのメンツっていうのが、村田と僕とその渋カジ(笑)。三人同じ班で。かなりすごいキャラクター(笑)。好きなもんどうしが集まったとかじゃ全然なくて(笑)、たまたまそういう班だったんですけど。そいで修学旅行とか行ったら同じ班じゃないですか。密室だしさ……他の班の奴とかも色々来てたりしてさ。で、ウチの班で布団バ~ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。例えばバックドロップとかって普通できないじゃないですか?だけどそいつ軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから『もう一回やらして』とか言って。それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、『バックドロップやらして』なんて言って(笑)、"ガ~ン!"とかやってたんだけど。で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプって言うかさ。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。素っ裸にしてさ。そいでなんか『オナニーしろ』とか言っちゃって。『オマエ、誰が好きなんだ』とかさ(笑)。そいつとか正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。『ここはヤバイよな』っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。『オマエ、誰が好きなんだ』とか言って。『別に…』なんか言ってると、パーン! とかひっぱたいたりとかして。『おお、怖え~』とか思ったりして(笑)。『松岡さん(仮名)が好きです』とか言って(笑)。『じゃ、オナニーしろ』とか言って。『松岡さ~ん』とか言っちゃって。かなりキツかったんだけど、それは」

以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。

【「小山田の家に行く」】
―――他にいじめてた人はいるんですか?

「いじめっていうのとは全然違って、むしろ一緒に遊んでた奴なんだけど、朴(仮名)ってのがいて。こいつは名前の通り朝鮮人なんだけど、朝鮮学校から転校して来たのね。で、なんでからかわれたんだっけ……、とにかく、本当にピュアでいい奴なのね。だからんだろうけど。あ、思い出した! これ実は根深いんだけど。初日の授業で、発表の時にはりきって『はい』って手挙げたんだけど、挙げ方がこんな(ウルトラマンのスペシウム光線に似たポーズ)だったのね。それで教室中大爆笑になって、それでからかわれ始めた。でもそれは朝鮮学校の手の挙げ方だったのね」

「あと、こいつの家は親が厳しくて、門限が五時とか。で、無理やりひきとめてサ店とか入って、食うだけ食って五時過ぎたら『じゃあ!』とか言って(笑)」

「ここの親は、怒るとすぐ子供を坊主にしちゃうのね。で、朴がラジカセを買うって一万円ためてたんだけど、ある時、ベランダに閉じ込められて、窓とか鍵閉められちゃったの。そしたら窓ガラス蹴り破って出て来て。先生に叱られて結局ラジカセの一万円でガラス代弁償することになったの(笑)。次の日、やっぱりこいつ坊主になってました(笑)」

「で、ある日『おまえ、そんな家出ちゃえよ。ウチ泊めてやるからさ』とか半分冗談でアドバイスしたら、ホントに朝の六時に駅から電話かかってきた。仕様が無いから迎えに行って家に置いてあげたんだけど、こいつのバッグが着替えじゃなくて教科書で一杯でさ。夏休みなのに(笑)。しかも弟に『小山田の家に行く』って思いっきり告げてきちゃったらしくて、結局すぐ親が迎えに来て。僕は怒られた(笑)」

全く、いちいち面白い人のいる学校だ。和光とは、一体どんな学校なのか?

「他だったら特殊学級にいるような子が普通クラスにいたし。私立だから変わってて。僕、小学校の時からダウン症って言葉、知ってたもん。学校の裏に養護学校みたいなのがあるんですよ。町田の方の田舎だから、まだ畑とか残ってて。それで、高校の時とか、休み時間にみんなで外にタバコ吸いに行ったりするじゃないですか。で、大体みんな行く裏山があって。タバコ吸ってたり、ボーッとしてたりなんかするとさ、マラソンしてるんですよ、その養護学校の人が。で、ジャージ着てさ、男は紺のジャージで、女はエンジのジャージで、なんか走ってるんですよ。で、ダウン症なんですよ。『あ、ダウン症の人が走ってんなあ』なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?『あれ? さっきあの人通ったっけ?』なんて言ってさ(笑)。ちょっとデカかったりするんですよ、さっきの奴より。次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走って行って、『あれ?これ女?』とか言ったりして(笑)。最後一〇人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ~って走って来て。『すっげー』なんて言っちゃって(笑)」

この養護学校も、今は無いらしい。小山田さんが話しているのは、一〇年近く前の話だから、そういうこともあっておかしくない。では、いじめられっ子たちはその後どうしているのだろう。僕の学校の場合、同学年の奴のその後って全然付き合いの無かった奴のも含めて、「学校やめた」とか「宗教入った」とか結構情報が伝わってくるのだが、不思議なことにいじめられっ子のその後についてはまったく情報がない。小山田さんは知ってるだろうか。

【ファースト・クエスチョン・アワード】
「中学の同窓会があって。なぜか村田が来て。久々だから、みんなで『インタビューしよう』ってなって(笑)。『おまえ、今何やってんの?』とか聞いたら、『ビートルズのファンクラブ入っちゃった』とか言って(笑)。ビートルズと荻野目洋子のファンクラブに入ったとか言って、会員証をオレとかに見せびらかして(笑)」

「あのね、沢田にはね、『あれは実は演技なんだ』っていう噂が流れてて(笑)。なんか一時期『沢田をどっかで見た』っていうウワサが流れてて。『そん時は沢田は普通だった』ってね。『安部公房かなんかの本を読んでた』とかね(笑)」

「もともと噂の発端がいて。一コ下にやっぱ凄い奴で、犬川君(仮名)っていうのがいたんだけど。そいつはホントにマトモになったんですよ。後に『あの頃の俺は俺じゃない』とか言っちゃうような(笑)」

―――いるんだ、そういう人も。

「ウン。で、ちっちゃい頃に感電したとか言って、なんか体の半分ブワ~っとケロイドみたくなっちゃってて。手のところからブワ~っとなってて。『オレは感電してバカになった』とか自分で言って(笑)。で、いつも学校にすげー早く来てて、校門の前にいるんですよ。それでみんなが通学してくると、いきなり寄って来て『問題を出す』とか言って(笑)。答えられないような、すっごい難しい問題を出してくるんですよ。ホント、禅問答みたいな問題を出してくるの。『赤と緑、どっちが黄色?』とか、そんな問題を出してくるのね。『えー』とか言って、『何言ってんだよ』とか言ってね。なんか適当に答えたりすると『ブ―』とか言ってね、ツバかけてくんの(笑)。そうそう、スフィンクスみたいなの。で、ツバをペッ! ってかけてくんの。俺とか先輩だから『ふざけんなよ!』とか言って、バ~ンとか蹴っ飛ばしたりするんだけど。全然、バ~ンとかブッ倒れてもへこたれないの。またフラフラ~ッと次の獲物に行って、『問題を出す』とか言って(笑)」

「ホント、質問大賞はアイツなんですよ。ホントに質問大賞なんですよ。」

【いじめられっ子に会いに行く】
事実を確かめなきゃ。小山田さんにいじめられっ子の名前を教えてもらった僕は、まず手紙を書いた後、彼らとコンタクトをとっていった。何かロードムービーの中に入り込んだような感覚になる。

●4月6日
村田さんの家に電話する。お母さんが出た。聞けば、村田さんは、現在はパチンコ屋の住込み店員をやっているという。高校は和光を離れて定時制に。お母さん「中学時代は正直いって自殺も考えましたよ。でも、親子で話し合って解決していって。ウチの子にもいじめられる個性みたいなものはありましたから。小山田君も元気でやってるみたいだし」住込みの村田さんは家族とも連絡がとれないらしい。パチンコ屋の電話番号は、何度尋ねても教えて貰えず、最後は途中で電話を切られた。

●4月28日
沢田さんに電話してもお母さんが出た。電話だけだとラチが開かないので、アポなしでの最寄り駅から電話。「今近くまで来てるんですが……」田園調布でも有数の邸宅で、沢田さんと直接会うことができた。お母さんによれば"学習障害"だという。家族とも「うん」「そう」程度の会話しかしない。現在は、週に二回近くの保健所で書道や陶器の教室に通う。社会復帰はしていない。お母さん「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれてるから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」寡黙ながらどっしりと椅子に座る沢田さんは、眼鏡の向こうから、こっちの目を見て離さない。ちょっとホーキング入ってる。

―――対談してもらえませんか?
「(沈黙……お母さんの方を見る)」
―――……小山田さんとは、仲良かったですか?
「ウン」
数日後、お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。

●5月1日
朴さんは、電話してもマンションに行っても違う人が出た。手紙も『宛て所に尋ねあたりません』で戻って来た。

●5月15日
小山田さんは「そこまでして記事が形にならないのは……」と言ってくれ、ライターの僕のために、レコーディングに入っていたにもかかわらず、二度目の取材に応じてくれた。まず、小山田さんに会い、村田さんのその後のことを報告した。「でもパチンコ屋の店員って、すっげー合ってるような気がするな。いわゆる……根本(敬)さんで言う『いい顔のオヤジ』みたいなのに絶対なるタイプって言うかさ」

―――もし対談できてたら、何話してますか?
「別に、話す事ないッスけどねえ(笑)。でも分かんないけど、今とか会っても、絶対昔みたいに話しちゃうような気がするなあ。なんか分かんないけど。別にいじめるとかはないと思うけど。『今何やってんの?』みたいな(笑)。『パチンコ屋でバイトやってんの?』なんて(笑)。『玉拾ってんの?』とか(笑)。きっと、そうなっちゃうとおもうんだけど」

―――やっぱ、できることなら会わないで済ましたい?
「僕が? 村田とは別に、あんま会いたいとは思わないけど。会ったら会ったでおもしろいかなとは思う。沢田に会いたいな、僕」

―――特に顔も会わせたくないっていう人は、いない訳ですね?
「どうなんだろうなあ? これって、僕って、いじめてる方なのかなあ?」

―――その区別って曖昧です。
「だから自分じゃ分かんないっていうか。『これは果たしていじめなのか?』っていう。確かにヒドイことはしたし」

―――やましいかどうかっていう結論は、自分の中では出てない?
「うーん……。でも、みんなこんな感じなのかもしれないな、なんて思うしね。いじめてる人って。僕なんか、全然、こう悪びれずに話しちゃったりするもんねえ」

―――ええ。僕も聞きながら笑ってるし。
全然消息のつかめなかった、朴さんの事も報告した。「今、なんか『朝鮮のスパイだった』って噂が流れてて(笑)。『俺ら殺されるわ』とか言って。ホントにいなくなったっていうのは、僕も誰かから聞いてたんですよ。誰も連絡とれなくなっちゃったって。だから噂が流れて」

―――いま会ったら、何話します?
「あやまるかなあ、スパイだったとしたら(笑)。とりあえず『ごめんなさい』って。でもそんな朴とか、一緒に遊んでたからな。あやまるっていう程でもないかな」

【"いじめ紀行"の終点】
最後に、小山田さんが対談するなら一番会いたいと言っていた、沢田さんのことを伝えた。沢田さんは、学校当時よりさらに人としゃべらなくなっている。

「重いわ。ショック」

―――だから、小山田さんと対談してもらって、当時の会話がもし戻ったら、すっごい美しい対談っていうか……。
「いや~(笑)。でも俺ちょっと怖いな、そういうの聞くと。でも…そんなんなっちゃったんだ……」

―――沢田さんに何か言うとしたら……
「でも、しゃべるほうじゃなかったんですよ。聞いた事には答えるけど」

―――他の生徒より聞いてた方なんですよね? 小山田さんは。
「ファンだったから。ファンっていうか、アレなんだけど。どっちかっていうとね、やっぱ気になるっていうかさ。なんかやっぱ、小学校中学校の頃は『コイツはおかしい』っていう認識しかなくて。で、だから色々試したりしてたけどね。高校くらいになると『なんでコイツはこうなんだ?』って考える方に変わっちゃったからさ。だから、ストレートな聞き方とかそんなしなかったけどさ、『オマエ、バカの世界って、どんな感じなの?』みたいなことが気になったから。なんかそういうことを色々と知りたかった感じで。で、いろいろ聞いたんだけど、なんかちゃんとした答えが返ってこないんですよね」

―――どんな答えを?
「『病気なんだ』とかね」

―――言ってたんだ。
「ウン。……とか、あといろんな噂があって。『なんでアイツがバカか?』っていう事に関して。子供の時に、なんか日の当たらない部屋にずっといた、とか。あとなんか『お母さんの薬がなんか』とか。そんなんじゃないと思うけど(笑)」

―――今会ったとすれば?
「だから結局、その深いとこまでは聞けなかったし。聞けなかったっていうのは、なんか悪くて聞けなかったっていうよりも、僕がそこまで聞くまでの興味がなかったのかもしれないし。そこまでの好奇心がなかったのかも。かなりの好奇心は持ってたんだけど。今とかだったら絶対そこまで突っ込むと思うんだけど。その頃の感じだと、学校での生活の一要素っていう感じだったから。でも他のクラスの全然しゃべんないような奴なんかよりも、個人的に興味があったっていうか」

―――沢田さんが「仲良かった」って言ってたのが、すごい救いっていう……
「ウン、よかったねえ」

―――よかったですよね。
「うれしいよ。沢田はだからね、キャラ的(キャラクター)にも、そういう人の中でも僕好みのキャラなんですよね。なんか、母ちゃんにチクったり、クラスの女の子に逃げたりしないしね。わりとそういう特技なんかも持ってるっていう(笑)。なんか電話番号覚えてたり、漢字うまかったりさ。『レインマン』みたいな。あの頃『レインマン』なんかなかったけどさ、でも『もしかしたら、コイツは天才かもしんない』とか思うようなこともやるしさ。結構カッコいいんですよ、見方によっては」

―――"演技だった"っていう噂も、流れておかしくない……。
「『ああ~、疲れた』とか言ってね(笑)。『やっと帰ったわ』とか言って、シャキーンとかして(笑)。そうかもしれないって思わせる何かを持ってたしね。それで、たまに飽きてきた頃にさ、なんかこう一個エピソードを残してくれるっていうかさ。石川さゆりの写真とか入れて来たりだとかさ。そんなの普通『ギャグじゃん』とか思うじゃん?その人選からしてなんか、ねえ」

―――天然……。
「天然……。ホント『天然』って感じの」

―――小山田さんの音楽は、聴いてないそうです。
「聴かしたいなあ(笑)。どういう反応をするんだろうなあ(笑)。ま、別に大した反応はしないですよ、多分。ま、音楽とかそんなに興味ある訳じゃないから」

―――街で会っちゃったりしたら、声はかけますか?
「はーん……分かるかな?」

―――沢田さんは、覚えてますよ。
「覚えてるかな?」

―――ええ。すっごい覚えてると思うな、僕の会った感触では。
「そうですね……。沢田とはちゃんと話したいな、もう一回。でも結局一緒のような気もするんだけどね。『結局のところどうよ?』ってとこまでは聞いてないから。聞いても答えは出ないだろうし。『実はさ……』なんて言われても困っちゃうしさ(笑)。でも、いっつも僕はその答えを期待してたの。『実はさあ……』って言ってくれるのを期待してたんですよね、沢田に関してはね、特に」

―――……ところで、小山田さんはいじめられたことってないんですか。学校に限らず。
「はー。多分、僕が気付かなかったっていうだけじゃなく、なかったと思うんですよ。被害者とか思ったことも、全然ないですね。」

今回僕が見た限りでは、いじめられてた人のその後には、救いが無かった。でも僕は、救いがないのも含めてエンターテイメントだと思っている。それが本当のポジティヴってことだと思うのだ。

小山田さんは、最初のアルバム『ファースト・クエスチョン・アワード』発売当時、何度も「八〇年代的な脱力感をそんな簡単に捨てていいのかな」という趣の発言をしていた。これを僕は、"ネガティヴなことも連れて行かないと、真のポジティヴな世界には到達できない"ということだと解釈している。

でも、いや、だからこそ、最後は小山田さんのこの話でしめくくりたい。

「卒業式の日に、一応沢田にはサヨナラの挨拶はしたんですけどね、個人的に(笑)。そんな別に沢田にサヨナラの挨拶をする奴なんていないんだけどさ。僕は一応付き合いが長かったから、『おまえ、どうすんの?』とか言ったらなんか『ボランティアをやりたい』とか言ってて(笑)。『おまえ、ボランティアされる側だろ』とか言って(笑)。でも『なりたい』とか言って。『へー』とかって言ってたんだけど。高校生の時に、いい話なんですけど。でも、やってないんですねえ」